幕末の人物当てクイズ

織田信福
https://oda-dental-office.jp/

激動の幕末期、時代を駆け抜けた英雄たちがいました。

その姿は、時に勇ましく、時に哀しく。しかし、いずれも輝かしい魂を持っていました。

幕末の人物当てクイズで、英雄たちの軌跡を辿り、その勇姿を心に刻みましょう。

幕末の出来事に焦点をあてた幕末歴史クイズにも、ぜひチャレンジしてください。

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216

四択クイズ

幕末の人物当てクイズ

合格ライン60点~

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久坂玄瑞

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近藤勇

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三条実美

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高杉晋作

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5 / 15

勝海舟

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6 / 15

徳川家茂

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7 / 15

沖田総司

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8 / 15

9 / 15

西郷隆盛

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10 / 15

大久保利通

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11 / 15

木戸孝允

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12 / 15

井伊直弼

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大村益次郎

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吉田松陰

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クイズ挑戦者の平均正解率は 62%

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成績上位TOP10

番号ユーザー名正解率時間成績
1ゲストさん100 %54 秒15 / 15
2ゲストさん100 %1 分 15 / 15
3ゲストさん100 %1 分 12 秒15 / 15
4ゲストさん100 %1 分 15 秒15 / 15
5ゲストさん100 %1 分 49 秒15 / 15
6ゲストさん93 %1 分 14 / 15
7ゲストさん93 %1 分 14 / 15
8ゲストさん93 %1 分 1 秒14 / 15
9ゲストさん93 %1 分 10 秒14 / 15
10ゲストさん93 %1 分 13 秒14 / 15
このクイズの作成者
クイズサイト.jp

数年前からたびたび話題に上っているのが「坂本龍馬が教科書から消えるかも」という問題です。この原因として、私たちが抱いているヒーロー像としての坂本龍馬は創作、もしくは誇張かもしれないという理由からです。たとえば、薩長同盟について龍馬は関与はしているものの役割は大きくなかった・「天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ」などとある船中八策は創作という見解が有力になっています。出典

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クイズの答えと解説

1問目の答え

久坂玄瑞
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答え:久坂玄瑞

解説:『久坂玄瑞』(くさか げんずい)は、幕末の長州藩士で長州藩における尊王攘夷派の中心人物です。八月十八日の政変の後、「武力をもって京都に進発し長州の無実を訴える」という進発論には同意したものの、戦闘自体には否定的でした。しかし来島又兵衛や真木和泉に押され、やむなく挙兵(禁門の変)しますが、敗れて自害しました。

2問目の答え

近藤勇
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答え:近藤勇

解説:『近藤勇』(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士で新選組局長です。新選組局長として京都の治安維持のため池田屋事件や対抗勢力の粛清を行いました。戊辰戦争時には「大久保剛」の変名を用いており、新政府軍に捕縛された後も大久保の名を貫き通しましたが、対抗勢力だった御陵衛士の隊士に見破られ斬首されました。

3問目の答え

三条実美
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答え:三条実美

解説:『三条実美』(さんじょう さねとみ)は、三条家31代であり、公卿・政治家で尊王攘夷・討幕派の中心的な人物です。尊王攘夷派公家の代表として孝明天皇にすら強引な態度をとるなど朝廷を把握しました。「八月十八日の政変」で失脚した後も、桂小五郎に対して薩摩藩への認識を改めるよう伝えるなど、薩長同盟成立の立役者の一人となりました。

4問目の答え

高杉晋作
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答え:高杉晋作

解説:『高杉晋作』(たかすぎ しんさく)は、長州藩の尊王攘夷志士です。幕府への恭順などへ揺らぐ長州藩を、功山寺挙兵を経て倒幕運動に方向付けました。第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として戦闘指揮を執り勝利します。これにより江戸幕府の滅亡へと進んでいきますが、それを見ることなく晋作は29歳という若さで病死します。

5問目の答え

勝海舟
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答え:勝海舟

解説:『勝海舟』(かつ かいしゅう)は、江戸幕府最後の陸軍総裁です。勝家は小普請(こぶしん)で無役でしたが、海舟の海防に関する意見書が老中・阿部正弘の目に留まり役職に取り立てられます。その後、海軍興隆へ奔走するなどさまざまな役職に就き、戊辰戦争時には陸軍総裁に起用され江戸城の無血開城を主張、江戸の住民150万人の生命と家屋・財産の一切が戦火から救われました。

6問目の答え

徳川家茂
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答え:徳川家茂

解説:『徳川家茂』(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代将軍です。13歳という若さで将軍となった家茂ですが、開国を要求する諸外国と攘夷を要求する朝廷・諸藩という難しい状況でした。皇女である和宮との結婚、将軍として229年振りとなる上洛など公武合体を進めますが、第2次長州征伐の途上に病没(21歳)します。そして、将軍職は徳川慶喜に引き継がれることになります。

7問目の答え

沖田総司
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答え:沖田総司

解説:『沖田総司』(おきた そうじ)は、幕末の武士、新選組一番隊組長及び剣術師範です。近藤勇・土方歳三と同じく天然理心流で剣術を学び、新選組では、精鋭が集められ最も重要な任務をこなした一番隊組長でした。体調の悪化により鳥羽・伏見の戦いには参加できず、近藤勇斬首から2ヶ月後の慶応4年(1868年)に死去しました。近藤の死を知らないまま亡くなったともいわれています。

8問目の答え

織田信福
出典:https://oda-dental-office.jp/

答え:織田信福

解説:『織田信福』(おだ のぶよし)は、民権運動家で、高知県最初の歯科医です。25歳で歯科医籍として登録された信福でしたが、自由民権運動に熱心で、手作りした爆弾を使って政府に対して直接的な行動に出ようとしました。しかし、この計画は失敗に終わり、高知に戻った信福は歯科を開業し、大日本歯科医会高知部の会長などを務めました。織田歯科医院は、現在も高知市で市民の歯の健康を守っています。

9問目の答え

西郷隆盛
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答え:西郷隆盛

解説:『西郷隆盛』(さいごう たかもり)は、幕末から明治初期の政治家、軍人です。薩摩藩の下級武士でしたが、開明派大名であった島津斉彬に見いだされます。二度の流罪から復帰し、薩長同盟・王政復古・戊辰戦争・江戸城の無血開城を巧みに主導します。しかし、大久保らと対立し政府要職を辞職し鹿児島に戻った後、私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となり、敗れて城山で自刃しました。

10問目の答え

大久保利通
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答え:大久保利通

解説:『大久保利通』(おおくぼ としみち)は、幕末の武士・政治家です。薩摩藩の下級藩士でしたが、才能を発揮し藩主の側近として倒幕・王政復古に向けて活動します。明治維新後は、版籍奉還、廃藩置県、学制や地租改正、徴兵令、富国強兵などを推進しました。大久保が務めた内務卿(初代)は、内閣制度発足前のの実質的・事実上の初の内閣総理大臣と言われています。

11問目の答え

木戸孝允
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答え:木戸孝允

解説:『木戸孝允』(きど たかよし)は、の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家です。剣豪としての名を天下に轟かせていましたが、ペリーの来航で海外の脅威を目の当たりにします。藩政府中枢で頭角を現した孝允(当時は桂小五郎)は、「天皇の命を得て開国し、国の力をつけてから攘夷を実行する」方針に長州藩を方向付けます。そして、長州藩の代表として薩摩藩との政治的、軍事的同盟である「薩長同盟」を締結しました。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人は、倒幕・維新に尽力した「維新の三傑」と呼ばれています。

12問目の答え

井伊直弼
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答え:井伊直弼

解説:『井伊直弼』(いい なおすけ)は、近江彦根藩の第16代藩主で幕末期の江戸幕府にて大老を務めた譜代大名です。天皇の許しを得ないまま日米修好通商条約の調印などを実行した幕府に反発が起きますが、直弼は諸策に反対する者たちを弾圧(安政の大獄)します。この結果、幕政是正のためには大老井伊直弼の排除が不可欠と考えた浪士たちに襲撃されます。直弼は居合の達人でしたが、襲撃の合図である銃撃で負傷しており、それを発揮できずに死亡しました。

13問目の答え


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答え:河井継之助

解説:『河井継之助』(かわい つぎのすけ)は、幕末の武士・越後長岡藩牧野家の家臣です。戊辰戦争が始まると継之助は外国の商会からガトリング砲など最新兵器を購入します。最新兵器の武装と継之助の巧みな用兵により開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦いました。しかし、兵力の違いと継之助負傷におよる指揮能力の低下で敗走し、継之助も負傷が原因の破傷風で死亡します。越後長岡藩は小規模な藩でしたが、戊辰戦争を通じて最大の激戦の一つとなりました。

14問目の答え

大村益次郎
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答え:大村益次郎

解説:『大村益次郎』(おおむら ますじろう)は、幕末期の政治家、軍人、医師、学者です。もともとは村の医者でしたが、蘭学・兵学の知識から長州藩の要請で藩士になります。益次郎は、農民・町人階級から組織される市民軍の組織体系確立、訓練、指揮官への戦術徹底指導、そして最新の武器装備を行います。第二次長州征伐では、旧態依然とした戦術に捉われた幕府側をことごとく撃破します。また、旧幕府残党による彰義隊約3千名を一日で鎮圧するなど、その軍事的才能が遺憾なく発揮しました。

15問目の答え

吉田松陰
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答え:吉田松陰

解説:『吉田松陰』(よしだ しょういん)は、江戸時代後期の思想家、教育者、山鹿流兵学師範で、明治維新の精神的指導者・理論者です。各地で知見を広め、黒船の脅威を目の当たりにした松陰は尊王攘夷思想に傾倒していきます。長州に帰郷した松陰は、叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、私塾である松下村塾を開塾し身分の隔てなく塾生を受け入れました。松陰の尊王攘夷思想は、塾生の伊藤博文・山縣有朋・前原一誠・久坂玄瑞・高杉晋作、塾生ではないものの、松陰に兵学の教えを受けていた木戸孝允に引き継がれ、維新の原動力となっていきました。

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