幕末歴史クイズ

戊辰戦争中の薩摩藩士

坂本龍馬に西郷隆盛、新選組など我々が好きな歴史上の人物の多くが幕末に生きた人たちで、それは60作品が放送されたNHK大河ドラマのうち16作品が幕末が舞台という点にも表れています。出典

ドラマの主役になった人たちだけでなく、新しい時代を見ることなく散っていった者、旧幕府を最後まで支えようとした者、多くの若者が様々な思想を持って生きた時代です。

この幕末歴史クイズでは、社会全体が劇的に変化していった時代の人物をクイズにしました。

今からたったの160年前なのに、現代の日本とは隔世の感がある幕末の魅力にどっぷりと浸かりましょう。

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1588

四択クイズ

幕末歴史クイズ

合格ライン60点~

1 / 15

1) 1863年6月、浦賀に来航した『ペリー』が乗っていた黒船の名は?

2 / 15

2) 新選組の前身集団の名は?

3 / 15

3) 天璋院(篤姫)が嫁いだ江戸幕府の将軍は?

4 / 15

4) 『禁門の変』の説明として正しいのはどれ?

5 / 15

5) 坂本龍馬の手紙「日本を今一度〇〇いたし申し候」 〇〇に入る文字は?

6 / 15

6) 日露和親条約が結ばれた年は?

7 / 15

7) 鳥羽・伏見の戦いでの新政府軍の戦力は約5,000人、旧幕府の戦力は?

8 / 15

8) この人物の名前は?

松平容保

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9 / 15

9) 次のうち吉田松陰が指導した松下村塾の塾生ではないのは?

10 / 15

10) 次のうち『薩長同盟』の説明として間違っているのは?

11 / 15

11) 次のうち『五箇条の御誓文』に書かれていないのはどれ?

12 / 15

12) 『直心影流の免許皆伝』『軍艦奉行並』『慶応4年(1868年)3月13日・14日、薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見』この人物は?

13 / 15

13) 次のうち『会津戦争』の説明として間違っているのはどれ?

14 / 15

14) この人物の名前は?

岩倉具視

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15 / 15

15) 江戸が東京に改称されたのはいつ?

あなたの正解数は

クイズ挑戦者の平均正解率は 49%

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成績上位TOP10

番号ユーザー名正解率時間成績
1ゲストさん100 %29 秒15 / 15
2ゲストさん100 %34 秒15 / 15
3ゲストさん100 %40 秒15 / 15
4ゲストさん100 %44 秒15 / 15
5ゲストさん100 %46 秒15 / 15
6ゲストさん100 %48 秒15 / 15
7ゲストさん100 %49 秒15 / 15
8ゲストさん100 %49 秒15 / 15
9ゲストさん100 %51 秒15 / 15
10ゲストさん100 %52 秒15 / 15
このクイズの作成者
クイズサイト.jp

稀代の英雄と言われる『坂本龍馬』ですが、暖かい人間性を彷彿とさせるエピソードも多くあります。勝海舟の門弟になったことを姉・乙女に宛てた手紙で「エヘンエヘン」と自慢したり、宿泊していた寺田屋の子ども達に怪談話をして、両手を前にたれ『お化け』と怖がらせたそうです。出典

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クイズの答えと解説

1問目の答え

1863年6月、浦賀に来航した『ペリー』が乗っていた黒船の名は?

答え:サスケハナ

解説:『サスケハナ』は、アメリカ合衆国海軍の軍艦の名前です。黒船来航時、旗艦としてマシュー・ペリー提督(実際には代将)が搭乗していました。その後はアメリカ合衆国の内戦である南北戦争でも活躍しました。

2問目の答え

新選組の前身集団の名は?

答え:壬生浪士

解説:『壬生浪士(みぶろうし)』は、新選組の前身集団で、公武合体に基づく攘夷断行の実現に助力することを目的として結成されました。壬生(京都市中京区の地名)にゆかりのあることから名づけられ、その後の八月十八日の政変での働きを評価され新選組を拝命しました。

3問目の答え

天璋院(篤姫)が嫁いだ江戸幕府の将軍は?

答え:徳川家定

解説:『天璋院(篤姫)』は、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり江戸幕府第13代将軍『徳川家定(とくがわ いえさだ)』の妻となりました。家定が急死したため結婚生活はわずか1年9か月でしたが、生涯にわたり徳川家の存続と元大奥関係者の就職・縁組に取り組みました。葬儀の際には、沿道には1万人もの人々が集まったと言われています。

4問目の答え

『禁門の変』とは?

答え:長州藩勢力が、京都守護職の松平容保らの排除を目指して挙兵した

解説:『禁門の変(きんもんのへん)』は、1864年8月20日に京都で起きた武力衝突事件です。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)とも呼ばれ、八月十八日の政変で京都を追われた長州藩が、薩摩・会津・桑名藩と京都御所周辺で戦った事件です。

5問目の答え

坂本龍馬の手紙「日本を今一度〇〇いたし申し候」 〇〇に入る文字は?

答え:洗濯

解説:坂本龍馬が姉・乙女へ宛てた手紙の中で、最近の情勢を憂慮し「右申所の姦吏を一事に軍いたし打ち殺、日本を今一度洗濯いたし申し候」と述べています。背景には、地元の土佐における土佐勤王党の粛清や下関戦争がありました。

6問目の答え

日露和親条約が結ばれた年は?

答え:安政2年(1855年)

解説:日露和親条約は、安政2年(1855年)に日本とロシア帝国の間で締結された条約です。本条約によって、択捉島(えとろふとう)と得撫島(うるっぷとう)の間に国境線が引かれましたが、樺太においては国境を設けず、これまでどおり両国民の混住の地とすると決められました。この他、ロシア船の補給のため箱館(函館)、下田、長崎の開港(条約港の設定)や、ロシア領事を日本に駐在させるなどが決定されました。

7問目の答え

鳥羽・伏見の戦いでの新政府軍の戦力は約5,000人、旧幕府の戦力は?

答え:約15,000

解説:鳥羽・伏見の戦い(慶応4年・1868年)は、戊辰戦争の初戦となった戦いです。旧幕府の戦力は約15,000人と新政府軍の戦力約5,000人を上回っていましたが、装備の差や指揮官の不在・逃亡などで数の有利を生かせず敗走しました。

8問目の答え

この人物の名前は?
松平容保
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答え:松平容保

解説:『松平容保(まつだいら かたもり)』は、幕末の大名で会津藩9代藩主です。京都守護職への就任を固辞していましたが、会津家訓(かきん)15カ条を引き合いにだされ、ついに承諾しました。そして幕末の政変の中心に身を置き会津戦争へと進んでいきました。

9問目の答え

次のうち吉田松陰が指導した松下村塾の塾生ではないのは?
A. 高杉晋作
B. 久坂玄瑞
C. 山縣有朋
D. 桂小五郎

答え:桂小五郎

解説:『桂小五郎(木戸孝允)』(かつら こごろう)は、幕末の長州藩士・勤王志士・明治時代初期の政治家で、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられています。松下村塾の門下生ではなかったものの、吉田松陰に山鹿流兵学を学び、師弟関係であると同時に親友関係ともなりました。

10問目の答え

次のうち『薩長同盟』の説明として間違っているのは?
A. 倒幕のための軍事同盟だった
B. 坂本龍馬の斡旋があった
C. 小松帯刀の屋敷で締結された
D. 長州藩の代表は木戸貫治(孝允)

答え:倒幕のための軍事同盟だった

解説:薩長同盟は、慶応2年(1866年)に締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟です。政治的活動の自由を奪われた長州藩の復権を、薩摩藩は支援するという内容です。軍事同盟ではありますが倒幕を目的としたものではなく、軍事的対決の相手としては松平容保(会津藩)を主に想定するものでした。

11問目の答え

次のうち『五箇条の御誓文』に書かれていないのはどれ?
A. 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ
B. 皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
C. 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ
D. 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ

答え:皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス

解説:五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、明治元年(1868年)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。「皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス」は帝国議会の一院である貴族院の構成について規定した大日本帝国憲法第34条です。

12問目の答え

『直心影流の免許皆伝』『軍艦奉行並』『慶応4年(1868年)3月13日・14日、薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見』この人物は?

答え:勝海舟

解説:『勝海舟(かつ かいしゅう)』は、幕臣、政治家で山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれています。戊辰戦争が始まり幕府軍の劣勢が続く中、江戸城総攻撃の3月15日の直前の13日と14日に征討大総督府参謀の西郷隆盛と会談し、江戸城無血開城を決定しました。これにより、江戸の住民150万人の生命と家屋・財産の一切が戦火から救われました。

13問目の答え

次のうち『会津戦争』の説明として間違っているのはどれ?
A. 会津・庄内両藩が資金確保のため蝦夷地をプロセインに売却しようとした
B. 新選組の斎藤一は会津藩士とともに最後まで抵抗した
C. 二本松藩から12歳から17歳の少年兵が出陣した
D. 新政府軍の参謀として大村益次郎が出陣した

答え:新政府軍の参謀として大村益次郎が出陣した

解説:会津戦争における新政府軍の参謀は、板垣退助と伊地知正治で、大村益次郎は大総督府の参謀として江戸に居ました。大村益次郎は仙台・米沢への進攻を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津攻めを主張しました。

14問目の答え

この人物の名前は?
岩倉具視
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答え:岩倉具視

解説:『岩倉具視(いわくら ともみ)』は、公家・政治家で明治維新に尽力した維新の十傑の1人です。岩倉具視を全権とした岩倉使節団は、条約を結んでいる各国への訪問・不平等条約の改正の予備交渉・西洋文明の調査を目的として1年10か月にわたり欧米諸国を巡りました。

15問目の答え

江戸が東京に改称されたのはいつ?

答え:慶応4年(1868年)

解説:慶応4年7月17日(1868年9月3日)に江戸が東京と改称され都(首都)として定められました。当初は、保守派や京都市民への配慮から京都(平安京)との両京制でした。

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