戦国時代クイズ(中級編)

戦国時代クイズ(中級編)

好きな武将ランキングなどで必ずと言っていいほど1位になる織田信長ですが、江戸時代の庶民には人気が無く新井白石など学者からの評価は低い物でした。

今回はそんな武将たちの再評価・再発見につながるようなクイズを作成しました。

このクイズは前回の戦国時代クイズ(初級編)よりも難しい内容になっています。

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四択クイズ

戦国時代クイズ(中級編)

合格ライン60点~

1 / 10

1) 三好長慶の死後に三好政権支えた三好三人衆。三好長逸・三好宗渭、あと一人は?

2 / 10

2) 第四次川中島合戦において実行された作戦で、山本勘助が考案したとされる戦法の名は?

山本勘助

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3 / 10

3) 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」誰にまつわる逸話?

4 / 10

4) 関東の政局を決定する大きな戦いとなった「河越夜戦」(かわごえよいくさ)。北条氏康がとった作戦とは?

北条氏康

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5 / 10

5) 龍造寺隆信はなぜ「肥前の熊」と呼ばれた?

龍造寺隆信

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6 / 10

6) 剣豪将軍と呼ばれる足利義輝に剣術を指南したのは誰?

足利義輝

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7 / 10

7) 大友宗麟が輸入した武器、「国崩し」とは?

大友宗麟

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8 / 10

8) 毛利元就が勢力を拡大するきっかけとなった合戦「厳島の戦い」、相手は誰?

毛利元就

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9 / 10

9) 長宗我部氏が考案した「一領具足」とは?

長宗我部元親

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10 / 10

10) 次のうち織田信長が撤退した戦いはどれ?

浅井長政

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あなたの正解数は

クイズ挑戦者の平均正解率は 57%

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このクイズの作成者
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織田信長の妹であるお市の方が、嫁ぎ先である浅井長政の裏切りを「前後を固く結んだ小豆の袋」を送ることで知らせたというエピソードは創作のようです。出典

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クイズの答えと解説

1問目の答え

三好長慶の死後に三好政権支えた三好三人衆。三好長逸・三好宗渭、あと一人は?

答え:岩成友通

解説:三好三人衆は、戦国時代に三好長慶(みよし ながよし)の死後に三好政権を支えて畿内で活動した三好氏の一族・重臣である三好長逸(みよし ながやす)・三好宗渭(みよし そうい)・岩成友通(いわなり ともみち)の3人のことです。永禄の変で室町幕府13代将軍足利義輝を襲撃し、殺害しましたが、織田信長を相手に敗戦を続け勢力は衰えました。

2問目の答え

第四次川中島合戦において実行された作戦で、山本勘助が考案したとされる戦法の名は?

答え:キツツキ戦法

解説:啄木鳥(キツツキ)戦法とは、永禄4年(1561年)の川中島の戦いにて山本勘助(やまもと かんすけ)が武田信玄(たけだ しんげん)に献策した作戦です。別動隊が奇襲をしかけ、相手が驚き顔を出した所を本隊が襲撃する点がキツツキの生態に似ていることから名づけられました。

3問目の答え

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」誰にまつわる逸話?

答え:山中鹿之介

解説:山中鹿之介(幸盛)(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将で、尼子三傑の1人です。毛利氏によって滅ぼされた主君、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名です。

4問目の答え

関東の政局を決定する大きな戦いとなった「河越夜戦」(かわごえよいくさ)。北条氏康がとった作戦とは?

答え:詫び状を出し続けて油断させた

解説:河越夜戦とは、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つです。関東管領の山内上杉家をはじめ関東諸大名連合軍約8万の兵に囲まれた河越城を救うために、北条氏康(ほうじょう うじやす)は偽りの降伏を申し出て詫び状を出し続けます。北条方の戦意が低いと判断した連合軍が完全に油断したところを奇襲をしかけ8千の兵で勝利しました。

5問目の答え

龍造寺隆信はなぜ「肥前の熊」と呼ばれた?

答え:冷酷だったから

解説:龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で肥前国の戦国大名です。裏切った者だけでなくその一族まで皆殺しにしたり、人質も殺害するなど疑心暗鬼にかられやすい冷酷な人物でした。沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい)で島津氏に討ち取られました。

6問目の答え

剣豪将軍と呼ばれる足利義輝に剣術を指南したのは誰?

答え:塚原卜伝

解説:塚原卜伝(つかはらぼくでん)は、日本の戦国時代の剣士・兵法家で鹿島新當流の開祖です。多くの弟子がおり、足利義輝もその一人ですが免許皆伝というわけではありません。

7問目の答え

大友宗麟が輸入した武器、「国崩し」とは?

答え:大砲

解説:国崩しとは、フランキ砲という16世紀の大砲の種類です。1576年(天正4年)キリシタン大名の大友宗麟が、布教のために来日したポルトガル人宣教師から輸入したのが、日本で最初の大砲と言われています。

8問目の答え

毛利元就が勢力を拡大するきっかけとなった合戦「厳島の戦い」、相手は誰?

答え:陶晴賢

解説:厳島の戦い(いつくしまのたたかい)は、天文24年10月1日(1555年10月16日)に、安芸国厳島で毛利元就(もうり もとなり)と陶晴賢(すえ はるかた)との間で行なわれた合戦です。毛利軍4,000~5,000人に対して陶軍20,000~30,000人という戦力差でしたが、狭い島内に大軍を置いた陶軍は毛利軍の奇襲によって混乱、また、村上水軍の協力もあり毛利軍が勝利しました。

9問目の答え

長宗我部氏が考案した「一領具足」とは?

答え:平時は農業に従事し合戦時には戦闘に参加する兵士

解説:一領具足(いちりょうぐそく)とは、戦国時代の土佐国の戦国大名である長宗我部国親(ちょうそかべ くにちか)が、兵農分離前の武装農民や地侍を半農半兵の兵隊組織として運営したものです。平時には田畑を耕し、領主からの動員がかかると、一領(ひとそろい)の具足(武器、鎧)を携えて、直ちに召集に応じることを期待されていました。

10問目の答え

次のうち織田信長が撤退した戦いはどれ?
A. 小谷城の戦い
B. 第二次木津川口の戦い
C. 金ヶ崎の戦い
D. 稲葉山城の戦い

答え:金ヶ崎の戦い

解説:金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)は、戦国時代の1570年(元亀元年)に起きた、織田信長(おだ のぶなが)と朝倉義景(あさくら よしかげ) との戦闘・撤退戦です。越前の朝倉義景領に侵攻し、金ヶ崎城を攻略した織田軍でしたが、同盟関係であり妹婿の浅井長政(あざい ながまさ)の裏切りにより挟撃される危険が生じました。やむなく撤退を開始した織田軍と朝倉軍の戦闘が起こりました。

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