日本プロ野球クイズ(歴代の外国人助っ人編)
昭和・平成の子ども達にとって最も身近な外国人は、グラウンドでプレイする外国人選手でした。
パワフルなプレイに見た目や習慣を、羨望と畏怖のまなざしでテレビや球場で見つめていました。
日本プロ野球クイズ~外国人助っ人編~で、お気に入りのチームの帽子をかぶって遊んだあの頃に戻ってみましょう。
また、より広範な日本プロ野球の知識を試したい方は、「日本人メジャーリーガークイズ」や「日本プロ野球クイズ」、「プロ野球300本塁打クイズ」「各球団の最新MVP受賞者クイズ」もお楽しみいただけます。
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このクイズの作成者
2022年シーズンで、外国人助っ人唯一の個人成績1位になったのが中日のライデル・マルティネスです。両リーグトップの39セーブをあげ、防御率も0.97という成績でした。出典
クイズの答えと解説
1問目の答え
NPBで400本塁打(通算464本)を記録した唯一の外国人選手
答え:タフィ・ローズ
解説:『タフィ・ローズ』は、アメリカ合衆国・オハイオ州出身の元プロ野球選手です。日本プロ野球で13年プレイし、本塁打は2001年の55本、2003年の51本など通算464本と、NPBで400本塁打を記録した唯一の外国人選手です。
2問目の答え
ソフトバンク時代にシーズン最多セーブ記録54セーブを達成しました。
答え:サファテ
解説:『デニス・サファテ』は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手です。2011年から8年日本プロ野球でプレイし、2017年には54セーブとシーズン最多セーブ記録保持者、そして43イニング連続奪三振を記録しています。
3問目の答え
1983年に巨人へ移籍。この選手の名前は?
答え:クロマティ
解説:『ウォーレン・クロマティ』は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手です。1983年に巨人に入団し1990年まで活躍しました。打撃の際の、背中を丸めて、前かがみになるクラウチングスタイルが特徴でした。
4問目の答え
1996年に年俸200万ドル(約2億2000万円)で阪神に入団したものの、わすが7試合の出場で引退しました。
答え:グリーンウェル
解説:『マイク・グリーンウェル』は、アメリカ合衆国ケンタッキー州出身の元プロ野球選手です。メジャーリーグで「ミスターレッドソックス」と呼ばれるほど活躍し、近鉄・西武・阪神の獲得レースの末、阪神に年俸200万ドル(約2億2000万円)で入団。しかし、「野球を辞めろという神のお告げがあった」として、26打数6安打(打率.231)で現役を引退・帰国しました。
5問目の答え
1986年、横浜大洋ホエールズに入団。口ひげを生やしており「マリオ」と呼ばれました。
答え:ポンセ
解説:『カルロス・ポンセ』は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手です。1986年、横浜大洋ホエールズに入団し、容姿が当時人気だったゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』のマリオに似ていたため、「マリオ」と呼ばれました。
6問目の答え
1985年から1997年まで西武ライオンズで活躍した投手で、最速156km/hの速球を投げ「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれました。
答え:郭泰源
解説:『郭泰源(かく たいげん)』は、台湾(中華民国)の台南市出身の元プロ野球選手です。1985年から1997年の13年間西武でプレイし、最速156km/hの速球で「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれました。
7問目の答え
オランダ出身で、日本プロ野球史上初のシーズン本塁打60本を達成しました。
答え:バレンティン
解説:『ウラディミール・バレンティン』は、オランダ王国キュラソー島出身のプロ野球選手です。2010年に東京ヤクルトスワローズと契約合意し、3年連続の獲得となった2013年の本塁打王獲得時には、NPBのシーズン最多本塁打記録(60本)を樹立しました。
8問目の答え
外国人選手初の6年連続打率3割を達成するなど阪神・ヤクルトで活躍。小さなヘルメットを浅く被っていました。
答え:オマリー
解説:『トーマス・オマリー』は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の元プロ野球選手です。1991年に阪神タイガースに入団し、1993年は首位打者を獲得するなど、日本プロ野球6年間の通算打率は.315でした。スイングを行った際にメットが飛ぶようにするため、小さなヘルメットを浅く被っていました。
9問目の答え
2001年にロッテ入団。腕をグルグルと回す・マウンドまで全力で走り白線を飛び越えるパフォーマンスで人気でした。
答え:シコースキー
解説:『ブライアン・シコースキー』は、アメリカ合衆国ミシガン州出身の元プロ野球選手です。2001年シーズン途中に千葉ロッテマリーンズに入団し、巨人・ヤクルト・西武で活躍しました。腕をグルグルと回すパフォーマンスは、観客席から歓声が上がるほどの人気でした。
10問目の答え
1989年に西武ライオンズに入団し、秋山幸二・清原和博とクリーンナップを構成しました。
答え:デストラーデ
解説:『オレステス・デストラーデ』は、キューバ出身の元プロ野球選手です。1989年、西武に入団し打率は低いもののチャンスに強いバッティングで、秋山幸二・清原和博と構成したクリーンナップはAKD砲と呼ばれ、他球団に恐れられました。
11問目の答え
1996年巨人入団・巨人史上初の「外国人開幕投手」・投手ながら本塁打通算10本・乱闘。この選手の名は?
答え:ガルベス
解説:『バルビーノ・ガルベス』は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手です。1996年に入団テストを経て巨人に入団し、いきなり16勝をあげ最多勝を獲得し、1999年には巨人史上初の「外国人開幕投手」を任せられました。1999年には満塁本塁打を2本記録するなど打撃も優秀でしたが、山崎武司との乱闘や審判への暴挙など素行不良が目立つ選手でした。
12問目の答え
野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ、1996年に広島でプロデビュー。その後NYヤンキースに移籍しレギュラーを獲得。17年間メジャーリーグで活躍しました。
答え:ソリアーノ
解説:『アルフォンソ・ソリアーノ』は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手です。ドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日し、1997年に9試合プレイしました。その後メジャーリーグのNYヤンキースに移籍しトリプルスリー、WナショナルズではMLB史上4人目の40本塁打40盗塁を達成しました。
13問目の答え
1983年に阪急ブレーブスに入団し、200cm、100kgの巨体から「怪人」と呼ばれ、三冠王や最優秀選手(MVP)を獲得しました。
答え:ブーマー
解説:『ブーマー・ウェルズ』は、アメリカ合衆国・アラバマ州出身の元プロ野球選手です。1983年に阪急ブレーブスに入団し、2年目の1984年には打率.355、37本塁打、130打点で来日外国人選手初となる三冠王と、MVPを獲得しました。200cm、100kgの巨体から「怪人」と呼ばれましたが、選球眼に優れ三振が少なく、また1日の小遣いが2,000円に限定されていたなどのエピソードがあります。
14問目の答え
メジャーリーグの第一線で活躍する捕手でしたが、オーストラリア代表としてオリンピックに出場するため2000年に中日に移籍。日本の投手に対応できず8月に退団しました。
答え:ディンゴ
解説:『ディンゴ(デーブ・ニルソン)』は、オーストラリア出身の元プロ野球選手です。メジャーリーグで打率.309・本塁打21本と活躍した翌年の2000年にオリンピックに出場するため中日ドラゴンズに入団しました(メジャーリーグ機構がオリンピック出場を許可していないため)。輝かしい実績で期待されましたが、日本の投手に対応できず8月に退団しました。
15問目の答え
2208打数743安打で打率.337。1986年には453打数176安打で打率.389。日本プロ野球「史上最強の助っ人」と言われています。
答え:バース
解説:『ランディ・バース』は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手です。ヤクルト・阪急・阪神の獲得競争の末、阪神に入団し、1983年から1988年まで日本プロ野球で活躍しました。1986年には、打率.389など、NPB記録を次々に達成するなど、日本プロ野球「史上最強の助っ人」と言われています。阪神球団との確執で退団後に現役を引退した後、2004年から2019年までオクラホマ州議会上院議員を務めました。
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